実家にて田吾咲が旅立ちました。
死因は腎不全。
猫は腎臓、犬は心臓と言いますが、ウチの子も例に倣うかのように腎臓が悪くなりました。
4月に獣医から「末期の腎不全でもう駄目でしょう」と宣告されてから5ヶ月。本当によく頑張りました。っていうか頑張りすぎです。
8月に入ってからはいよいよ自立歩行が難しくなってしまい、8月中旬に医者から「もういつ亡くなってもおかしくない」との宣告。8月25日頃からは完全に寝たきり状態になりました。
宣告から約3週間。全然良くはならなかったけど悪くもなっていないような素振りを見せていましたが、本日夕方ゆっくりと安らかに旅立ちました。
たごに出会ったのは、私が中学3年くらいの頃でした。
家の周りをうろちょろしてる猫で、人が寄っても逃げない。逃げないどころかむしろ自ら寄ってくる。そんな猫。
元々飼い猫だったのかなぁなんて思いながら、気づいたら毎日ベランダでご飯をあげる関係になっていました。朝ご飯をあげるとどこかへ消えていく。そして学校から帰ると玄関の前で待っていて「ニャー」と挨拶してくれる。
アパートに住んでいたので、「チーちゃん」「ミーちゃん」等々、各住人から色々な名前も付けられていました。そんな中私が差し上げた名前は「田吾咲(たごさく)」。メスなのにね。そんな名前を付けられたにも関わらず、名前を呼ぶとこっちを振り向き足下にすり寄ってくる。
いつしかベランダで餌をあげるだけの関係が、夜は家で寝るという半家猫の関係になっていました。
そんな中、私が7丁目から9丁目に引っ越すことになりました。
たごをどうしようか悩みましたが、一度人間が手を出してしまった以上、最後まで面倒を見るのが筋というのは重々承知していたので華麗に拉致。
引っ越し初日に外に出したら約2日帰ってこなかったなぁ。
徒歩5分程度の引っ越しだったので、前に住んでいたあたりの縄張りに戻ったんだろうと諦めていました。が、ちゃんと帰ってきてくれました。感動の再会になるはずが、何故かススまみれになっていたので、速攻お風呂に入れましたけどね。
それからは完全にパートナーという感じになりました。トイレもご飯も寝るときも家。たまに外に散歩に出かける。そんな感じ。
それから2年。
私が実家に帰ることになり、当然たごも一緒に引っ越しをすることに。
最初の家で一緒だった母親と妹と改めて再会し、家族4人で一緒に過ごすことになりました。
実家は5階ということもあり、もう散歩はできなくなりました。今まで外に散歩へ行っていたたごには本当に申し訳ない事をしたなぁという思いで一杯でした。完全に家猫。たまに外をボーっと見てる姿を見ると心が痛みました。
そうこうしているうちに、妹が家を出て、私も家を出て、ついに実家はたごと母親の2人暮らしになりました。
母親は私なんかとは違い、本当にマメに色々な世話をしてくれました。そして優しかった。今までなら俺に怒られていたような粗相にも笑顔で対処してくれる。たごに対して怒ったことなんて無いんじゃないかな。そういった意味では、年老いた後半の人生を母親と過ごせたのは本当に幸せだっただろうなぁと思います。
実家をでてからの私は、年に10回ほどしか帰らなくなりました。365/365が10/365に。それでも実家に行くたびすり寄ってきてくれて、膝の上で寝てくれて。「もう帰るよ」と言うと玄関まで見送りに来てくれる。本当に優しい猫でした。
今年の4月。そんな猫が、腎臓を悪くしたというだけで、4キロだった体重が2キロを切ってしまい、身体は骨と皮だけになり立っている姿を上から見下ろすと悲しくなるほど平べったい。
どこの誰が見ても「もう駄目だな」と思う。そんな姿になってました。
出会ってから約14年。出会ったときにはもう成猫だったので、おそらく15年以上は生きているのでしょう。人間に換算すれば最低でも約80歳。大往生でした。
2週間前に会ったときには、もう鳴き声も出ないような状態が数日続いていたにも関わらず、私が「じゃあ帰るね」と声をかけた瞬間に力を振り絞って、声を出して鳴きました。必死に何かを伝えているんだろうなぁと思えるその姿に涙が止まらなくなりました。
その次の日からのたごは本当に奇跡としか言いようがない行動を見せ始めました。
立てなかったはずなのに自立してご飯を食べ、トイレも人の手を借りることなく行き来する。本当に信じられませんでした。
「これまだあと2、3年頑張っちゃうんじゃないの?」なんて妹が言うくらい動きました。まぁ動いたとは言っても、足下はヨロヨロでしたが…
それからキッチリ2週間。それが今日でした。
先週の帰り際に「また来週会おうな」と声をかけたからかどうかは誰も分かりませんが、キッチリ1週間彼女は頑張りました。最初にも書いたけど、もう頑張りすぎです。
残念なことに、先日痛めた腰と、今朝から続いた偏頭痛で夕方近くまで家で横になっていたため、死に立ち会うことはできませんでした。腰も頭痛も良くなってきたので「さて家を出るぞ」という瞬間に訃報の電話が鳴りました。ここ十数年で一番悔やまれる瞬間でした。
1時間後駆けつけた時には、当然呼吸をしていませんでした。
以前獣医から言われていた通り、目も開いたまま。
硬直も始まっていないため、身体は柔らかいままでした。本当に寝ているよう(ここ1ヶ月は目を閉じられなくなっていたので。)でもやっぱり動いてくれませんでした。
やっと痛みとか辛さから解放されたんだね。本当にお疲れ様でした。そして15年近く家族に安らぎを与えてくれて本当にありがとう。痒いところに手の届かない飼い主でごめんね。色んなモノを与えられっぱなしでごめんね。
天国なんてモノがあるのなら、そっちの世界で存分に駆け回って、存分に食べて、存分に寝て過ごしてな。俺は人に迷惑ばっかかけているから天国なんてもんがあっても会えないかもしれないけど、もし会えたとしたら一緒に遊びましょう。
しかし平日に亡くなった場合は、仕事を休んで火葬場に連れて行くつもりでしたが、土日を狙ってくるなんてね。「甘ったれるな馬鹿野郎!人として働け!」って事なんでしょうね。流石たごです(笑)
長い間本当に本当にありがとう。そして、本当に本当にお疲れ様。安らかにね。またいつかどこかで会おうな!
4 Comments
俺が初めてあったのは19歳くらいのときだったから、
それでも10年くらい経つんだね。
まだ「餌だけの関係」って言ってたときだ。
すまん、言葉が見つからない。
みんな、お疲れ様でした。
たご、よくして貰えてよかったね。
俺が初めてあったのは19歳くらいのときだったから、
それでも10年くらい経つんだね。
まだ「餌だけの関係」って言ってたときだ。
すまん、言葉が見つからない。
みんな、お疲れ様でした。
たご、よくして貰えてよかったね。
どうも有り難う。
先生は家族以外では恐らく一番たごと接してくれてたからね。
まだお骨は実家にあるけど、家族皆の心の整理が付いたら春江町に納骨する予定なので、時間があったら会いに行ってやってくださいな。
どうも有り難う。
先生は家族以外では恐らく一番たごと接してくれてたからね。
まだお骨は実家にあるけど、家族皆の心の整理が付いたら春江町に納骨する予定なので、時間があったら会いに行ってやってくださいな。